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阿部俊暢

宮城県仙台市出身。定禅寺通りのけやき並木と同じ1958年生まれ。2003年阿部代表とともに定禅寺ハーブギャラリーを開業。夢は世界中のハーブを集めたハーブ農場の開設。JAMHA認定ハーバルセラピスト、AEAJ認定アロマテラピーインストラクター。

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2014年8月

2014年8月29日 (金)

トマトの錠剤」は、心血管疾患を有する患者における血管の機能を改善する (2)

ハーブ•アロマテラピーを学ぶ方のための海外ハーブ事情

第157回目の話題:“「トマトの錠剤」は、心血管疾患を有する患者における血管の機能を改善する (2)”です。前回の米国植物協議会  The American Botanical Council(通称「ABC」)の(ABC  HerbalEGram2014年6月号)のリンク記事の解説です。

http://cms.herbalgram.org/heg/volume11/June2014.html

 

Tomaten_im_supermarktregal

写真;フリー百科事典ウイキペデイアより

 

1.      トマト(Solanum lycopersicum)とは

 トマト(学名:Solanum lycopersicum)は、南アメリカのアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の植物、またはその果実のことです。トマトは長らく独自の属(トマト属 Lycopersicon)に分類されてきましたが、様々な系統解析の結果、最近の分類ではナス属 (Solanum) に分類されています。多年生植物ですが、日本では冬に枯死するため一年生植物として扱われています。果実は食用として利用され、日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)などの異称があります。

2.      ナス(Solanum)属について

 ナス属(学名:Solanum)は、ナス科の属で、1500種もの多年草、低木、高木、よじのぼり植物などからなり、全世界に分布していますが、特にアメリカ大陸に多く生育しています。重要な作物であるナスやジャガイモもナス属に含まれています。またトマトも、従来は別のトマト属(Lycopersicon)とされていましたが、分子遺伝学的研究から現在ではナス属に入れられています。

 日本にはイヌホオズキ、ヒヨドリジョウゴ、ヤマホロシや、帰化植物のワルナスビなど数種が野生で生育しています。ナス属のほとんどは、有毒なアルカロイドを含んでおり、食用にしない種は有毒植物とされているものも多くあります。

3.      トマト栽培の歴史

 トマトは、最初、現代のペルーとエクアドルの領域である南アメリカ西部で栽培されたと考えられています。野生種は、これらの地域と同じくさらに南のチリとボリビアでも見られます。トマト植物は、アンデスの西斜面の砂漠や乾燥した渓谷から霧にみたされた雲霧林、さらにはアンデス山脈のスノーライン上までのあらゆる種類の環境でみられます。しかし、ほとんどの野生種は、乾燥状態を好みます。

 サイズ、色、外観は非常に多様で、ほとんどの野生のトマトは、現在、我々が店で購入するものと同じもののようには見えません。それらは一般的には、全体で1センチ程度であり、緑色で、毛皮で覆われています。しかも、それらの味ははっきりと苦く、不快である可能性があります。これらの野生のトマトのどれが現代のトマトにの祖先であるか定かではありませんが、おそらく外見と味が我々がなれているトマトに似ている、Solanum pimpinellifolium種から育種されたと考えられています。

 トマトの歴史の中で1つの決定的な瞬間は、誰かが野生でトマトを採取するのではなく、それらを植えて栽培することを決めたときです。これはまさしく最初のトマト農家であり、その動きによりトマトの未来は永遠に変更されたといってよいでしょう。これが最初にいつ、どこで起こったかについて決して知ることはできないと思われますが、一部の人は、トマトは最初にペルーとエクアドルで栽培された(トマトが数千年前に発生した場所のまわり)と推測しています。このエリアは、インカで最高潮に達する、多くの複雑な文明の故郷ですが、彼等のいずれがトマトを栽培したという証拠はまだ発見されていません。他の人々は、およそ4000マイル北のメキシコの人々によって最初に栽培されたと考えています。確かに1500年代に、ヨーロッパ人が最初にメキシコに到着した時、先住民は、長い間食品としてトマトを栽培していました。

  それが最初に起こったのがどこであろうとも、人々がトマトを栽培し始めたとき、それは野生に存在していたのとほとんど同じように見えたでしょう。しかし、彼等がトマトを選ぶたびに、彼らは最高のものから種子を使用した可能性があります(例えば、最大または最も甘い)。人間のためのもっと良いものに野生植物を変更するこのプロセスは、順化と呼ばれ、このことにより野生のトマトは私たちが今日食べるトマトに変わったと思われています。

4.トマトの拡散

 さて1500年代以前にトマト植物は、すでにその起源である現代のペルーとエクアドルのアンデス地域からメキシコへ、北に4000キロを旅していました。

1492年、コロンブスは新世界に初上陸しました。そのことは、スペインによるアメリカの探検と征服、トマト植物の発見、世界のすべての四隅へのトマトの最終的な普及につながったように、トマトの未来を変える出来事でした。

 最初のトマト植物は、おそらくメキシコ、そこは1519年にスペインの征服者コルテスによって征服されたアステカの首都テノチティトランのその側から、ヨーロッパへもたらされたと考えられています。そこでスペイン人は、アステカ人が、彼らがXitomatlと呼んでいるトマトの栽培化形態を食べているのを発見しました。1529年にメキシコを訪れたフランシスコ会の司祭であるBernardino Sahagunは、アステカ人は、ソース(またはサルサ)を作るために、トマトとチリと、カボチャの種をひいたものを混ぜていると書いています。トマトとチリで作られたサルサは、いまだ今日でもメキシコと米国で人気の薬味です。

 トマトは最初にいくつかのスペインの港を介してヨーロッパに到着した可能性が高いと思われています。しかし、私たちがヨーロッパでトマトを所持したという最初の記録は、Matthioliと呼ばれるイタリアのハーバリストの1544年の作品に現れます。 Matthioliが研究したトマトは、拳大のサイズで鮮やかな黄色であり、彼はトマトを“pomi D 'Oro"、または"ゴールデンアップル"と呼んでいました。トマトとその名の ”ゴールデンアップル“は、急速くヨーロッパの北に広がりました。トマトは1553年にドイツ人、1554年オランダ人によって栽培され、わずか数年後にフランスで、そして1597年にはトマトは海峡を横断して、イギリスで栽培されています。トマトは、また他の方向にも急速に広がり1600年代の初めまでに、地中海の南部、シリア、アラビア、エチオピア、エジプトで栽培されています。 1700年までには、ヨーロッパ人は、中国、南アジア、東南アジアまでトマトを持ち込んでいます。北米でのトマトの最初の記録は1710年からのものです。このように、アメリカでの最初の順化から、主に人の手によってトマトは200年に満たない年数で、世界中のすべてを旅したと考えられています。それ以来、トマトは広がり続けており、現在ではトマトはインドネシアからカナダ、アイスランドからカメルーンで栽培されています。

 日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初とされています。貝原益軒の『大和本草』にはトマトについての記述があり、その頃までには伝播していたものと考えられています。

 5.トマトの利用

 アステカは、食品として利用するためのトマトを栽培していました。そして、ちょうどヨーロッパでの到着後の1544年には、イタリアのハーバリストのMatthioliは、イタリアではトマトはマッシュルームのように、揚げて、塩とコショウで味付けして、食べたと記述しています。しかし、トマトがヨーロッパで食品として広く認められる前には、2つの主要なハードルを飛び越えなければならなりませんでした。

 第一に、トマトは有毒であるという共通の認識が存在しました。トマトが悪名高くそしてふさわしい名前をもつベラドンナと同じ植物の科に属するものという共通認識が存在したためと思われます。また、熟した果実では発見されていませんが、葉とトマトの茎には、実際には人体に有害であるアルカロイドとして知られている化学物質が含まれています。

 第二に、トマトの香りと味が多くの人をうんざりさせたように考えられます。 1600年に出版された、植物についてのあるフランスの本は、このようにそのことを説明しています:“その果実を食べると嫌悪や嘔吐を起こすため、この植物は、味や匂いのいずれかよりも鑑賞することがより楽しい。” 1600年代に手に入れることができたトマトが本当に悪い味であったかどうか、単にヨーロッパ人の味覚が単に味に慣れていなかったかどうか、は今では知ることは困難です。

 1600年代には、トマトは一般的に食べられていませんでしたが、それらはまだ非常に目新しいものと考えられており- ちょうど私たちが今日のバラを育てるのと同様に、観賞植物としてそれらを栽培することが多くの国で流行した。実際に、ヨーロッパでトマトの最初の主要な用途は食用ではなく、裕福な人々の庭園のための装飾的な植物としてでした。

 徐々にトマトは食品として受け入れられはじめ、1800年代の初めまでには広くヨーロッパ各地を食べられるようになりました。 トマトが人気の食物になったすぐ後に、人々は飲料を作るためにトマトを使用し始めました。これらには、トマトワイン、トマトビール、トマトウイスキー、さらにトマトシャンパンなどが含まれています。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからです。

 その歴史の中でさまざまな時代において、トマトは医薬品で使用されていました。イギリス人のウィリアム·サーモンは、 1710年に、火傷、かゆみ、潰瘍、うみの出るはれもの、背中の痛み、痛み、頭痛、痛風、坐骨神経痛、そして興味深い名前の“母親の発作”の治療についてのトマトの使用を推奨しています。興味深いことに、トマトは今日、ウィリアム·サーモンによって推奨された方法とは異なりますが、私たちの健康のために有益であるとみなされています。例えば酸化防止などのビタミンや成分についての現代の我々の理解では、トマトはおいしい食べ物としだけでなく、また健康的な食事の貴重な一部として価値をもつようになっています。

  牧野和漢薬草大図鑑にも以下のトマトの記載があります。

【薬用部分】果実(番茄:バンカ)。新鮮な果実を採取又は購入に、そのまま使用する。

【薬効と薬理】薬理効果についての詳細は不明だが、ビタミン類、無機質などに富み、栄養価はさほど高くないため、美容、健康食としてよく、民間的に問止渇、健胃薬として、口渇、食欲不振などに用いられる。

 

6.トマトの安全性

健康食品データーベース(独立行政法人 国立健康•栄養研究所監訳)には以下のように記載されています。

  • おそらく安全と思われる:トマトの果実またはトマト製品を、食品に含まれている量で摂取する場合。
  • 危険性が示逡されている:葉を経口投与する場合。トマトのつるの安全性について、信頼性の高いデータは十分に得られていない。
  • おそらく安全と思われる:トマトの果実またはトマト製品を、食品に一般に含まれている量で摂取する場合。一般的に食品として投与される量を超えて投与することは避けるべきである。

 

 

                           記 阿部俊暢

 

参考

*Encyclopedia of Life Webページ

*牧野和漢薬草大図鑑


*英国王立園芸協会 ハーブ大百科

*健康食品データーベース(独立行政法人 国立健康•栄養研究所監訳)